萌え

あまりにもナチュラルに、この言葉をつかってしまっているわけですが、ちゃんと意味を考えたことがありませんでした。いやあ、考える必要のないくらい、もともとあった感情にしっくりはまってしまった、というところでしょうか。ところが先日ですね、「侘び・寂び・萌え」についてオーシエーテクーダサーイ、というメールをベネチアの友人から頂いたので(うそ)、ちょっと考えてみることにしました。この手の考察は既出すぎるほど既出にきまっているのですが、きーにしなーい。


おれが初めてこの言葉にであったのは、2ちゃんねるでした。文脈から、ゲームかアニメのキャラにたいする愛情表現であることは、すぐにわかりました。何かに熱心になることを「○○に燃える」と表現するので、それを故意に誤変換して「萌える」が登場、こちらのほうがより実際の感情に近いものだから一気に広がったのではないかと思いました。(誤変換起源説)


ではその感情の本質とはどんなんでしょうか? むずがゆい、ときにくるおしい、毛が生えるまえのぼっ起のような感情…かな? よけいわかり難い。


えーと、ゲーム・アニメキャラ、アイドルなどで物理的に手が届かなかったり、現実の人物でも、近づいて結ばれることをあきらめている、あるいはそもそも望んでいない。そんな対象を静かに愛することが「萌え」ならば、萌えているかぎり、嫉妬に苦しんだり、抜け駆けをして後悔したりすることはないでしょう。そのようなアナログ的な思考とは無縁であり、むしろ仲間うちでは、萌えていることを積極的に公表し、その想いや対象についての情報を共有するのが「萌え」の特徴だと思います。萌え対象は僕らひとりひとりの頭の中にいるのですから。そして決して汚されることはないのです。


映画「ルパン三世カリオストロの城」で、とても好きなシーンがあります。終盤、カリオストロ兵士との戦闘中。ヒロインであるクラリスを逃がそうと、追っ手を食い止める役をかってでた次元と五右衛門。クラリスは一度去りかけてから戻ってきて、ふたりに礼を言い、身に付けていたティアラを置いていきます。クラリスが行ってしまったあと、次元と五右衛門は顔を見合わせて、しばし、ぽーとしてしまいます。そのあと、あの五右衛門が、「可憐だ…」と思わず口にしてしまい、そのことに赤面するわけですが、そう、これが「萌え」です。次元と五右衛門はあきらかにクラリス萌えです。(ちなみにこのシーンでおれは五右衛門に萌えましたw ってそういう使い方もありってことで。)


あと、ルパンのクラリスに対する感情は、クラリス症候群*1といって古くから知られていますが、これも「萌え」の特殊形態と言えるんじゃなかろうかと思います。萌え対象に逆に好意をもたれてしまうとクラリス症候群におちいるという罠。(ちょい懐かし


他の起源説
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/news/2004071101.html

*1:恋愛病の一種。女の子があまりにも可憐すぎるので、とにかく守ってあげる。自分で手を出すこともできない